SHIINBLOG

プロジェクトADHD ノビ子の挑戦

ADHDでも社会で上手に生きるために色々なアイデアをひたすら試すブログ。有益な情報交換の場になればいいなと思います。昨日よりもうまくいく1日に!http://www.adhd-world.com ご連絡はこちらまで!nobinobiko2@gmail.com

感受性が豊すぎる人がパニックを避ける方法。

感受性が豊か。

これはいいことなのか?わからない。

感受性が豊か、特に人の気持ちに共感しやすいと

人の痛みがわかり、優しくなれるかもしれない。

ちょっとした話でも感動して、心が震えたり。

一つの絵や音楽に魅了されて何時間も夢中になったり。

世界がひっくりかえるような驚きを感じることがよくある。

 

けど、、実際には自分自身が辛くなることが多いのは事実。

美しい、すごい、かっこいい、嬉しい、楽しいとおなじだけ

悲しい、つらい、理不尽、苛立つも感じる。から。

いい感情だけを選んで「感じる」ことはできない。

感受性が豊かな為にほかの要素(論理的思考、実行・処理能力等)

が削られていることもよくあって、、これが

仕事の場面では、豊かな感受性がかえって能率を妨げたり

本来の能力を発揮できなくさせていることも多々ある。

福祉職についていたとき率直に思ったことは、

共感力よりも的確な対応が最終的には役に立つという事。

共感できる感受性は無駄ではない。

でも豊かすぎると自分自身が

疲弊してしまい、能力を発揮できないという事実。

どんな仕事であっても、

自分が健康でなければ人の役には立てない。

日常生活も目にすることすべてに影響を受けすぎると

くたくたになってしまい体を壊してしまう。

やりたいこともできない。考える事も感じることもやめたくなる。

嫌いになる。せっかくの休みもぐったりして動けない。

そんなのはもったいない。。。嫌だ。と思う。

 

【人の気持ちに共感、移入しすぎて起きる事】

・人のつらさ、悲しさ、動揺に共感しすぎて

 混乱状態に陥る

(涙が止まらない、胸が苦しい、些細な音におびえる、

 怒りが収まらない、虚無感にとらわれる)

※過去、現在に関わらず起きてしまう

※自分はその状況にない、無意味だと言い聞かせても止められない

 

・論理的思考に使われるエネルギーが奪われる

→思いは強いのに、結果的に人の役に立てない・・。

 思いが形として実現しない=新たなストレス。

 弱い自分に対しての劣等感。

 

・体力を劇的に消耗し日常や仕事に影響が出る

→日常的になると体調がおかしくなる=生活が破綻する

 

【人の気持ちに共感しすぎない

 感受性に振り回されない方法は??】

それは、、

べつの感覚(体の)を思い出すこと!

 

そもそも、、人のつらさ、悲しさ、理不尽などマイナスの気持ちに

影響されてしまうときというのは。

その人の「感情」に共感していると思っていましたが。

でも実際は、、もうすこし手前のステップがあります。

それは、、、「感覚」

実際には

「感情に共感するより前に

 感覚を感じ取っている」という事

 

例えば・・・・。

大好きな相手に存在を否定され、傷ついている人を見た時。

 

その人を認識する。

その人の感覚を自分も認識する。

・胸が締め付けられるような感じ。

・動揺や泣くことを我慢して顔の筋肉を緊張させている感じ。

・とまどいで考えがまとまらない時の頭の中の感じ。

・人の会話が少し遠くに聞こえている感じ

etc...

「辛い」という感情を共感していると感じる。

 

こうして、、よく思い出すと、、「感情」の前に

「感覚」を味わっていることが多い。。。

 

とくに「悲しんでいる人」や「辛いと感じている人」を見た時には

まず「息が苦しくなる感じ」が起きることが多い。

※あくまで自分の場合です。

 

だから、、

 

その人を見る

全然別の感覚を思い浮かべるようにする

例えば、、、

・すごく熱いお湯に手が触れたときのびっくりする感じ

・冷たい水を飲んだ時の心地よいのどの感覚

 水が喉のどこを通っているかすらわかるあの感じ

・遠くから聞こえるサイレンの音に感覚が集中する時の独特の感覚

など、、、

なんでもいいのですが、、

「その人」が「感じているのとは全く別の感覚」を

思い浮かべると、、、冷静さを保つことが随分とできます。

 

考えてみれば、、感情と感覚は切り離せない関係ですよね。

・悲しいときは涙が出たり

・怒ったときには頭に血がのぼったり

・ホッとしたときには筋肉が緩んだり

・驚いた時には目を見開いたり飛び上がったり

 

だから、、「感覚」を感じなければ「感情」も感じにくいかも。

逆にいうと、、

驚いた時に「ビクッ」としないとか、

緊張したときに「ドキドキ」しないとか難しい。

感覚と感情はつながっていると思います。

 

突然、、襲ってくるパニックに効果があった方法です。

 

・意味がないから

・時間がもったいないから

・感情的になってはいけない

これらの言葉はどれも効果がありませんでした。。

「思考」と「感情、感覚」は、

つながってる時もあるけど、そうじゃない時もあるからだと思う。

 

よく考えてみると当たり前ですよね。。

だって、感情的になる以前にもう、、「胸が苦しい」のに

「感情的になるな」なんて意味ないんですよ。

だって、感情的になってる訳じゃないから。

感覚が誤作動を起こしているだけ。

体が「その感情のときに起きるであろう反応を起こしている」

のであって。

 

指をざっくり切って「痛い」という感覚を感じてるときに

痛いなんて考えるな、そんな感情的なことは意味がないから。

と言われても、、「痛い」ってそもそも

感情ではないから、無理です。

まぶしいとかうるさいとか熱いとかと同じで。

感覚なので、感じないとか無理です。

感覚を感じなかったら危険を察知できない。

そんな本能的なものを意志の力で排除できるわけない。

 

昔からある、、「痛いの痛いの飛んでけ」といってさするのは、、

あれは「さする」という別の感覚で「痛い」という感覚を

鈍らせるという理屈が一応あるらしいです。。

 

そう考えると、、感覚を消すには「思考」よりも

「感覚」が合っているのかもしれない。

 

実際できるなら、、思い浮かべるのも効果があったけど。

「体感」するのもどうなんだろう。

今度試してみようと思います。

混乱したときに。。

でも、思い浮かべるだけでも効果はありました。

 

つらい人や事を見て苦しくなったら、、

どっちかな?と。

 

それは

①「つらい」っていう感情なのか?  それとも。。

②「つらい」ときの感覚を味わっているだけか??と。考えると

意外と②だったりします。。

 

感覚だったら、、対処は2つかと思います。

例えば音だったら、、、↓のどっちかですよね。

・遮る(耳栓、イヤーマフ

・打ち消す(ノイズ、別の音)

 

これと同じことなのかもしれないと思います。。

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