普通ときどき社会不適合者
なにかで読んだ文章。ADHDの一生は何の中毒になるかで決まる。
その通りと思う。負もあれば正もあるかと思うが。
私は仕事(おもにコーディング)とお酒、なんとなく自覚があるけど。
結局一見正に見える仕事にしろ度を越すので長いめでみたら負になるだろう。
実際にやりすぎて休職にまでなったけど
それでもなお中毒のない人生はつまらなく感じて選ばないだろうと思う。
頭ではわかってるのに。
最初は快適でもすぐに飽きてしまう未来が見える。
なにもかも退屈に感じてまたいつもの虚無のループにハマってしまうだけだ。
そこで何の中毒もなかったらいよいよ抜け出す術がない。
見えるのはそんな未来。社会的にみたら「普通」にしてても私は生きていない。
「普通の人、健常者」側に寄っていなければ家族や仕事を失ってしまう気がするから
いつも見習って模倣してそれらしく過ごすことだって忘れない。
生きていて葛藤がなかったときが一瞬たりともない。
社会的に問題なく生きることと自分の本質(衝動性、中毒性)とのバランスの
折り合いがつかなくなることが度々あって
そういう時に度々、社会不適合者になってしまう。普通ときどき社会不適合。