価値とは何だろうとよく考える
自分にとって興味があることは時間だから時間を生み出すことを価値と考えて
人が働かなくて済むプログラムをしばらく作ってきた
人に喜ばれたしそれは間違ってなかったと思う
いまでもそれに対して熱量を持って毎日考える
そのことを考えるとき実行するとき、虚無の霧から束の間に抜け出すことが出来る
時間を生み出したと錯覚できる瞬間がたまらないから
時間とは?
「有意義に過ごす」を定義するとすれば?
昔と現代とどちらが時間的にゆとりがあるのか?
葬式で僧侶がいう「人生を無駄なく生きる」とは?はたしてどう定義すればいいのか
亡くなった人への供養は生きるものが人生を無駄なく生きることだと言う
では教えてほしい「無駄なく」「有意義に」生きるとはいったいどういうことなのか?
私みたいな頭のよくない者でもわかるように、定義があったらいいのに
多くの人がやりたいことに費やせる時間は一体どれくらいあるのか?
「有意義に生きている」って実感できる時間は一体どれくらいあるのか?
周りの人やいろいろな出来事見ていて、
母の死を通して、それを突き詰めたい気持ちが消えない
「時間とは」
それをここでやめていいのかどうか、
やめればまたそれなりの新しい世界や好奇心がきっと広がっていくだろう
それはそれで新しさがあるが
でもそれでいいのか、、いいといわれたところでやめられるのかどうか
時間を生み出す、コードを書く以外にもその方法はきっとあるんだろうけど
今の私にある手段はコードを書くことしかなくて目に見えるそれに固執する
私の中のテーマが時間だから、時間に執着しているから、そればかり考えて生きてるから
迷いがある、いつも時間がテーマだったし今もそうでこの先も多分ずっとそう
ずーっと「それ」とともに生きる、脳が焼かれて死ぬまで
人だけでなく生き物でも物でもいつかは終わる
花は枯れ機械は壊れ人は灰になる
時代は移り変わり何もかも過去のものになる
今日舞い落ちた枯れ葉もあなたと同じように時間を生きた
「それ」を裏付けるような両親の早い死が私にそれをさらに実感させた
家族がペーパーワークで毎日遅く帰ってくることは毎日「それ」を私に思い出させる
定義が欲しくてずっとずっと探している
生きている事についての個人的な定義は
生きるとは「時間という単位で以て命を削る」こと
私という小さな単位でもできることはあるのかないのか
深い深い迷路の中で今夜も迷い彷徨っている