当事者でもあり理解者でもある
日ごろ感じること。
どうやったらわかってもらえるんだろう?
専門家も正しい知識もネットワークもまだまだ少ない。
それと同時に最近思う事。
私たちはADHD当事者でもあり理解者でもあるという事。
子供のころ大好きだった漫画。ドラえもん。
ドラえもんがロボット学校で優秀ではなかったから。
製造工場で雷に打たれネジが1本はずれ
他のロボットとは違ってしまったドラえもん。
学校でいい成績が取れなかったドラえもんは
すくってほしいとドラえもんを送り込む。
のび太の境遇を見ると普通なら落ち込むような場面も多い。
しかしのび太はいつも懲りない。
秘密道具ですらいつも使いこなせず痛い目にあってしまう日々。
ドラえもんが未来に帰るという回がある。
「僕がしっかりしないとドラえもんが未来に帰れないんだ!」
そう言いあきらめずに戦い続けついにジャイアンを打ち負かす。
のび太君を救ったのは、、ひみつ道具ではなくて【ドラえもんの存在】そのもの。
どらえもんという理解者がいるだけでのび太はいつも心強かったのだと思う。
その存在がここまでのび太をたくましく成長させた。
落ち込むことがあってもドラえもんに泣きつくことで
一瞬忘れることができたから。
しょうがないなあと言いながら一緒に失敗してくれたから。
そして周りと違っていたドラえもんだからこそ
のび太の唯一の理解者になる事ができた。
ほかのロボットだったらはたしてのび太はここまで
のびのびと成長しただろうか。
これから大きくなるADHDの子どもたち。
私たちが経験してきたもどかしさや苦悩もこれから
たくさん経験するんだろうなと思う。
しかし私たちは全く同じではないにせよそんな子供たちの
躓きを経験をしてきた。
優秀な指導者ではないけれど少なくとも理解者になること
くらいはできるかもしれない。
「もっとはやくADHDとわかっていたら・・」
そんな風にときどき考える。
でも、
「自分が見てきた未来を活かそう」
「早くわかっていたら見れなかった未来があった」
そう思うことで何かが腑に落ちる。納得できる。
もしかすると、、見るべくしてみてきたかもしれないなと思う。
過去は旅。
当事者こそ一番の理解者になれる。
当事者しか理解できないこともある。
周りの理解を求める前に自分にできることは何だろうか。。