悲しいニュースを見た時
テレビをつけると悲しいニュース、生きる事が辛くなったり、世の中が嫌になったり
する情報が飛び込んできてしまうことがある。
私はそれを引きずるたちで、大切な用事の前には
ニュース番組は見ない事にしている。
しかし、今の時代望まなくともTV以外から情報が入ってきてしまうことがある。
悲しいニュースを見たとき、仕事が気持ちを救ってくれる。
仕事をすると時々プロフェッショナルな人々と出会う。
「この人すごい!」という人。「自分には絶対に無理なことをできる」人
自分が丸3日かけてもできないことをほんの数時間でやる人に出会ったり。
TVに出ない、ごく普通の人々が、大多数の人々が皆
それぞれに自分の得意な事を必死で模索してがんばっている。
自分が出来ないことを人に依頼するとき・・
頼む方は救われる。
頼まれた方は、自身の存在価値を再確認できる。
仕事だけで味わえる孤高の瞬間だと思う。
そういう無数のつながりで世の中が成り立って発展してきたことを思うと
悲しいニュースに心がおかされてもいくらか気持ちが救われる。
その縁の不思議さ、世の中の成り立ちの過程に心が惹かれていくから。
あらゆる技術、サービス、物、作品がそんな無数の出会いの元に生まれてきたと思うと
理不尽で悲しい世の中でも何がしかまだ未知の可能性、驚きがあると思えてくる。