SHIINBLOG

プロジェクトADHD ノビ子の挑戦

ADHDでも社会で上手に生きるために色々なアイデアをひたすら試すブログ。有益な情報交換の場になればいいなと思います。昨日よりもうまくいく1日に!http://www.adhd-world.com ご連絡はこちらまで!nobinobiko2@gmail.com

後悔の多い人生

在宅勤務が続いている。

片づけをして箪笥の引き出しを1段片づけてみる。

要らなくなった過去のたくさんのレンズを捨てる。

アーレンレンズに出会うまで本当に大変だったなと振り返る。

捨てるうち心が軽くなる。

自分の不要な過去とも同時に決別できるからだろうか。

あるいは脳のメモリ容量を増やせるからかもしれない。

 

レンズを捨てながら、過去を振り返って

ふと、決断で後悔したことがあるかと考えてみる。

やったことで後悔したことは。

実はそんなにない。大したことない事が多かった。

やりもしない趣味の道具を買ってしまったとかそんなこと。

 

でもやらなくて後悔したことが結構多い。

・学校(義務教育)へろくに行かなかった

・あまりまともな仕事をしてこなかった

・もっと早くアーレンレンズをつくればよかった

・前職でもっと頑張ってみたかった

・もっと20代で恋愛すればよかった

・亡くなった父に連絡をとらなかった

 

こういう振り返りから、何を得ればいいのだろう??

 

やった後悔よりやらない後悔

 

よく聞く言葉だけどまずはそんな言葉がありきたりに浮かぶ。

と、同時に本当にそんなに簡単なことなの?と疑う。

色々穿った疑問がどうしても浮かんでくる。

 

疑問①

「その時は」どういう選択肢があったのか??と疑問。

あくまでも今じゃなくて「その時」はどうだったの?って事。

その時はそうできなかった自分とか

そうしなかったという決断が無視されていないか?という事や

障害とうまく共存できていなかったその時の自分が

まるでいなかったことにされていないか?という疑問。

 

疑問②

はたしてではそれをやっていたら幸せだったのか?ということ。

-この答えは誰にもわからない。

 

それらを考慮したうえでもう一度問いかける。

「後悔があるか??」

 

結局、後悔は半分あって半分なかった。

「今の自分」ならできるからBestの結果を想像してしまって後悔する。

一方で「当時の自分」には無理だったのがわかるから全く後悔がない。

 

後悔は色眼鏡。

未来の事は誰にも分からず自分の思い通りにはならない。

今の自分が今よりはるかに未熟な過去の自分を眺めるとき

後悔が存在しないほうが珍しいだろう。

例えばそれはテストの答えを散々見てから

これに〇をつけたらよかった等と考えるのによく似ている。

 

こうすればよかったとかああすればよかったとか思うのは多分

今の自分と昔の自分が同じ人間ではないから。

今だったらこうするのに。。という考えから生じてる。

私たちは自分でも気が付かないうちに変化している。

1年前の自分と今日の自分とか、

5年後の自分と今日の自分は絶対に同じじゃない。

こうすればよかったという「今の」願望と

「当時の」自分は全く釣り合っていない。

それなのに。

同じ人間だからといって無意識に比較してしまう。

こんなのは全然フェアじゃない。

人はどこまでも自分に都合のいい絵を描いてしまう。

後悔はあるかないかはどうでもよくて

するか?しないか?なんだと思う。

 

たくさんの後悔があっても

後悔しない人生を生きることは

今この瞬間からすぐできる。

直ちに理不尽な計算をやめたらいい。

あっても、しなくていい。

そういう選択がいつもそばにあると思い出す事は

後悔が多めな人生だった私をほんの少し勇気づける。

それは悪い事ではないし

逃げる事でもずるい事でも多分ない。

過去にすっきりと別れを告げ、

人は誰でも変わるという現実も受け入れて

今の自分を生きようと神経を傾けて集中してる。

ただそれだけのことだと思う。

 

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